※本記事はただの日記です。
祖母がいる叔父宅で数十年ぶりに餅つきをしました。もちろん4ヶ月のわが子(=ひ孫)も一緒に。
餅つきを叔父宅(旧祖母宅)でしたのは、本当に数十年ぶり。親族の誰しもがいつしたのか覚えていないくらい前に習慣だった行事です。
小さい頃はそれこそ年末になると餅つきを親族でしていましたが、子供たちが大きくなるにつれて、それぞれ予定を合わせることもできず準備も大変ということで消えてしまっていました。
今回はひょんなことから餅つきが実現し、ワクワクするような体験を親族で過ごすことができたのでそのときのことを書きたいと思います。
目次
餅つきまでの道のり
叔父の家族と祖母が暮らす叔父宅には、旧祖母宅時代の古びた倉庫が残っていて未だに杵と臼があります。
今回は、妻の「餅つきしたいねー」の一言から始まり、叔父家族を巻き込む形で餅つきが実現しました。
当初は準備も大変だし、杵と臼も使えるか分からないし、みんなの予定も調整できないしとだいぶネガティブだったのですが、お祭好きな叔父の心に火が灯ったようで数十年ぶりに開催することに。
まさかの雨予報で当日は中止せざるを得ない状況だったのですが、せっかくもち米やあんこを用意したので、とりあえずやってみようと親族で集まりました。
餅つき当日
あいにくの天気だったので、外ではなく倉庫内で。
臼にもち米をいれて、つくというよりひたすら練ります。
久しぶりの杵にわたしも妻も子供そっちのけで大興奮(笑)慣れない手付きで杵を操ります。
なにより一番嬉しそうだったのが、祖母(=ひいばあば)。
まもなく米寿(=88歳)を迎えるひいばあばは、久しぶりの餅つきが本当に嬉しそうで、「これで100歳まで生きられるわ、がはは」と笑っていました。
餅つきの総監督的なポジショニングで「あーだこーだ」と若手に指示を出します(笑)
餅を練っているうちにちょっとついてみるかという流れになり、ぺったんぺったんと餅つきが始まりました。
た、楽しい!!
全然リズミカルじゃないし、腰は入ってないしとダメダメでしたが、とりあえずみんな楽しそう。
ついたお餅は大きなのし板に乗せて、あんびん餅にしたり、大根おろしでからみ餅にしたり、ごまをつけたり、きな粉をつけたり…
つきたての柔らかいお餅を、これでもかというほど味わうことができました。
もちろん4ヶ月の我が子はお餅を食べられないので、大人たちにひたすら遊んでもらうという充実した時間が過ごせたと思います。
幸福感の正体
今日は終始幸福感がとどまることを知りません。
この幸福感はなんだろうと考えたとき、家族の歴史を感じているからかなと思います。
どんな家族でもいろいろあります。
良いことばかりではなく、家族でいることは大変なことやめんどくさいことも。
そんないろんな歴史を背負った家族や親族が一同に介して、笑って歴史ある杵と臼を囲う姿に胸を打たれてしまいました。
わたしの母や叔父がなにかするたびに、祖母は「そんなんじゃだめなんだよ!!」「ちげーんだよ!!」と叱咤激励というかもはや文句wをひたすら口悪く言い合い、母や叔父は「うるせんだよーと」とキレあう(笑)
「親にとって子供は何歳になっても子供」という言葉が胸に染みる光景が目の前で繰り広げられているのです。
そんな口悪い言い合いがありつつも、祖母はひ孫を抱くと「かわいいねー重たいねー」ととろけるような笑顔で笑い、「大きくなるんだよー」と願いを掛けます。
そして「まさかみんなで餅つきができると思わなかった。これでいい正月が迎えられそうだ」と嬉しそうに微笑むのです。
「老い」というのは本当にやっかいそうで、日々の暮らしとなると当人や関わる家族の大変さや苦労は計り知れません。
それでも小さな子供がその場にいると周りは満面の笑みで見守ってくれるのです。
「大きくなったねー」「こんな時期あったねー」「かわいいねー」「ずっと見ていられるねー」と。
わたしの場合、育休をきっかけに地元に戻ることで、そんな親族との時間を過ごすことができるようになりました。
仕事を求めて都心で過ごすこともそれはそれで幸せなことですが、こういった身近な親族たちと子供の成長を見守ることができる暮らしというのも幸せだなと噛みしめる日々です。
とにかく数十年ぶりの餅つきが開催できて本当によかった!
なにより叔父をたきつけ、わたしの親族たちとも仲良しでいてくれる妻に心からの感謝。
けんちゃんみわちゃんも準備ありがとうございました!